飛翔

日々の随想です

選挙にのぞんで


写真はスイス・ベルンのテミス像(正義の女神)。 剣と鎧で武装し足に悪魔を踏む。
かつて犬養道子のエッセイ『お嬢さん放浪記』(中央公論社)にこんな文があったのを思い出す。


ベルギーの北からオランダのリンバーグにかけての炭田での出来事。
中世期の半ば、ここで最初の炭鉱夫になって地下に降りたのは付近の修道僧たちだった。炭鉱のつらさを体験し炭鉱夫の生活の水準を上げることを生涯の事業とした彼ら。司教はまず強力な労組をつくった。炭鉱夫一人一人にめいめいの住宅を持たせ、舗装道路をしき、通勤バスを走らせ、病院やサナトリウムをつくり託児所を作った。


さて、その司教がはじめてこれらの案を作って国会に提出したとき、社会党キリスト教民主党も、党派や思想をこえてこの案に賛成し、協力をおしまなかったそうだ。
「オランダ人は公共善のためと思えば、反対の立場にある人を助ける
と何気なく言われた著者。
著者の犬養道子はその時「私は日本の政治の現状を痛いほど反省させられた。「公共の善のため」この考えが徹底どころか、まだ生まれていない日本の政治の貧しさを。


さらに文はこう続く:
組合長はこういった。
「炭鉱夫の幸福と、彼らの生活安定と向上、それを心から願い、その願いを炭鉱夫たちといっしょになって現実のものにするために、必要なのはただ一つのことだと思います。それは我々一人一人が隣人愛の精神に生きることです」と。


> するとそばにいた韓国人の学生が犬養道子にこういった。
「アジアとは哀しいところですね。国土が狭い、貧しい、それはたしかにミゼールですよ。しかし、隣人愛の足りないことや、人民に希望の光を与えてやれない政治の貧しさや党派の争いは、もっと深いミゼールですね。アジアにはそういう深いミゼールがまだいっぱいなんですね」と。


この著書は1978年初版である。
つまり今から44年も前の出版なのである。


44年経った今でもこの言葉たちは決して古くなく、その真実も変わらないという嘆かわしさに驚きと怒りを禁じえない。
東日本大震災福島第一原子力発電所事故から1年9か月経った今もなお、復興がままならない現状を憂れう。
 復興財源の使い道の不明問題、原発依存か脱原発か、などなど。選挙は今後の日本の行方に大きく関わる。
 日本がミゼールな国になるかどうかでもある。ひとりひとりのしっかりとした考えのもと選びたいものだ。