飛翔

日々の随想です

瞑想教室と「忙しい」

 土曜日も、日曜日も、一週間まるまる、出かけ続ける日々である。
 家には寝に帰るだけ。こんな主婦はいなよなァ・・・。
 そんな忙しさに悲鳴を上げそうなのに、なんと住んでいる市の文学同人誌の同人となり、編集仕事と執筆をすることになった。
 来週末は学校のビデオ審査の最終提出日である。ぎりぎりまでビデオ撮りをする私とクラスメイト。
 日曜日も学校で授業がある。授業の後ビデオ撮りをする。月曜日は同人誌の会合。火曜日は英語の授業。水曜日は午前中ビデオどり。午後一時から勉強会がある。勉強会の後、飲み会があるが、これは欠席する予定である。
 ビデオどりは相当なストレスである。神経がまいりそうだ。
 そういえば茶の湯の師匠が茶室では「忙しい」という言葉は使わないとおっしゃっていたっけ。
 それは忙しいという字は「心を亡くす」と書くからだとか。
 確かに忙しいと「心を亡くし」がちである。

 そんな中、あしたは瞑想教室がある。
 ひと月一回のこの瞑想教室が唯一の心身のリラックスにつながる。
 静かに何も考えずに瞑想する。現れてくる想念を捨てていく。
 宇宙の中のたった一粒の点のような私。あるがままの自分。
 私がやっとたどりついた静寂の世界。あるがままの私を受け入れる。
 次々に現れる想念を捨てていくとき、何があるのか?
 これから一年間、この瞑想教室で私は「あるがまま、今ここに」を体得するのだろうか?