飛翔

日々の随想です

点字ブロックが世界で初めて設置された日


写真は東泉さんからお借りしました。

今日3月18日は点字ブロックが世界で初めて設置された日。
目がご不自由な方にとって、雑多な世の中は危険なものであふれている。歩道を安心して歩いていると後ろから音もなく自転車がスピードを上げてやって来たり、曲がり角で出会いがしらに人とぶつかりそうになる。目が不自由でなくとも危険なことばかりの世の中になって、歩道や車道、駅のホームなどにこの点字ブロックができたことはどれだけ安心な事だろうかと思う。
 足をねん挫した時松葉づえの世話になった。その時、歩道も車道も、でこぼこしているうえ、障害物が多く、大変な思いをした。
 目が不自由な方にとっては、これらの障害物や危険物、危険な行為にどれだけさらされているのかと思ったら、他人事でないと痛感した。人は自分が痛い目に合わない限り、他人の痛みはようように理解できないものである。
 学校教育の中で生徒が体に重りをつけて歩行したり、眼隠しして、歩いて障碍者の気持ちを体感することをやっているが、それは大変良いことである。
 言葉で言っても、わからないことは世の中に多いのであるから。実際、自分で手指を怪我をしてみると指一本でもけがするととても不自由なことに気付く。
 そう考えてみると、人に対する接し方も変わって見える。人は誰でもかけがえのない存在である。それは自分が唯一無二の存在であるのと同じように他人もかけがえのない存在であるこをと理解できる。
 利他の心が麗しいなどと言われるが、人を尊重したり、大切に思うことは歯を磨くのと同じように、人として当たり前のことである。ボランティアを誇らしそうに言うことはないのである。互助の精神は「人」という漢字にも表わされているように、お互いに支えあってこそ、人としての生活が成りたっていくのであるから。
 点字ブロックの上にたむろしたり、障害物を置くようなことはしないのはもちろんのことである。