飛翔

日々の随想です

[詩歌に寄せるエッセイ」「待つ」にみる女心

今日車を運転しながらFM放送を聴いていたら、リクエストに応えてあみんの「待つわ」が流れてきた。リズミカルな曲なのに歌詞を聴いて仰天!

待つわ いつまでも待つわ
  たとえあなたが 振り向いてくれなくても
  待つわ いつまでも待つわ
  他の誰かに あなたが ふられる日まで

 
最後のフレーズ「他の誰かに あなたが ふられる日まで」にぎょっとなった。
美しいメロディーとハーモニーに心地よくなっていると
♪他の誰かに あなたが ふられる日まで♪
と来て「えっ!」と驚いた。
 振り向いてもらえなくてもけなげに片想いをすることはよくある。でも「他の誰かに あなたが ふられる日まで」待つというのはなんだか人の不幸を待つ女の執念のようで怖い。
 スイングするように軽やかなリズム。美しいハーモニー。だからなお一層相手の不幸が自分の幸福に繋がるまで「待つわ」のようで怖い。駅のホームの片隅で昔の恋人の新婚旅行姿を見送る女の姿を連想してしまう。
この結婚が破れますようになどと祈っていそうで怖い。
 でも作詞者はこの歌はけなげな片想いの歌のつもりかもしれない。
 そういえば都はるみの歌「着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編んでます」というのも怖いきがする。
 着てはもらえないということはもうこの恋は終わっていることを暗示している。
 それでも編むというのは何だろう?おそらく編み始めの頃は恋の途中だったのだろう。編み始めはどんな毛糸の色が似合うかしら?喜んでもらえるだろうか?などと考えながら編み始めたに違いない。
 それが途中でこの恋は終わりを告げる。虚しく転がる毛糸玉を見つめながらこの女性は決心したのではなかろうか?
それはこのセーターを編み終えることで自分の心にふんぎりをつけようとした。
だから「着てはもらえぬセーターを寒さこらえて編む」のである。
悲しい女心の決着だ。
 両者とも片想いの歌であって、けなげな女心でありながら、そのけなげさが怨念となって豹変しそうな怖さも含んでいる。
憎しみと愛情は表裏一体。コインの裏表でもある。
ここで「待つ」という言葉について万葉人はどんな風だったか考えてみよう。
萬葉集一』(完訳日本の古典2)小学館から萬葉集巻第二 相聞
 磐姫皇后(いはのひめおほきさき)、天皇(仁徳)を思ひて作らす御歌四首(巻2-85〜88)

85・君が行き 日(け)長くなりぬ山たづね迎へか行かむ待ちにか待たむ
(君の行幸は日かずが重なった 山を尋ねてお迎えに行こうかひたすら待とうか)

86・かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根しまきて死なましものを
(これほどに恋しいのだったら高山の岩を枕にして死んでしまうほうがましだ)

87・ありつつも君をば待たむうちなびく我が黒髪に霜の置くまでに
(このままで君を待ちましょう 垂らしたままの私の黒髪に霜が置くまでも)

88・秋の田の穂の上に霧(き)らふ朝霞いづへの方にわが恋止まむ
(秋の田の 稲穂の上にかかっている朝霞のように いつになったら私の恋は晴れ
るだろうか)

別本の歌に曰く
89・居明かして君をば待たむぬばたまの我が黒髪に霜は降る
(夜明かして君を待ちましょう(ぬばたまの)私の黒髪に霜が降ろうとも)

仁徳天皇は治水・勧農などに力を注いだといわれている。その一方、女性関係でも艶聞がたええず上記の歌を詠んだ磐姫皇后(いはのひめおほきさき)を大いに嫉妬させたといわれている。
 つまり上記の歌は仁徳天皇が他の女性に会いに出かけられたときに歌われたのではないだろうか。

 一首目は、何日も待ち続け、迎えにいこうか待つべきかと憂う心境。
 二首目は、待ち焦がれて途中で死んでもいいから山を踏み分けてでも天皇に会いに行きたいと必死。
 第三首は、少し冷静になり、静かに待っていようと自らを慰める。
 最後の歌は、日々一喜一憂しながら待つことに疲れ果て、この朝霧のようにいつまでたっても晴れない心に深い嘆息をつくという風情で哀れをさそう。

 あみんが歌う「待つわ」はさながら

 87・ありつつも君をば待たむうちなびく我が黒髪に霜の置くまでに
(このままで君を待ちましょう 垂らしたままの私の黒髪に霜が置くまでも)

 ともシンクロしそうだけれど、相手の不幸をひたすら「待つ」のとは異質である。
 そして都はるみの歌はもう「待つ」ことも虚しい恋の終焉を悟った女心の歌といえよう。
万葉の時代から現代にいたるまで恋する女は悩み苦しみ迷いながらも恋い慕う気持ちは変わらない。
「待つ」という言葉に凝縮された女心を万葉から現代まで一気に味わってみた。