飛翔

日々の随想です

おいしい日々


毎日激務に耐えるように帰って来る夫や,病に臥していても明るく生きようとする病人を見ると私にできることはなんだろうかと考え込む。何もできない・・・・。
それでも「家に帰って来るとほっとするよ〜」と言ってくつろぐ家族の顔をみると脳天気な私もほっとする。 主婦業は評価もなくやりだしたらきりがないほど雑事があるものだ。
生来怠け者の私はなんとか楽をしようとそればかり考える。床にワックスをかけてカラブキ掃除するのは力が要るし疲れる。足に乾いた雑巾を結わえ付けて家事をしているうちに床が磨かれる。
玄関に水を打って掃除する時、たたきをブラシでゴシゴシ磨く。そのときホースを持ちながらデッキブラシを使って磨くという両方のことはできない。そこで考えてデッキブラシにホースを結わえ付ければいっぺんに二つのことができる。なかなかいいアイデイァだ。そんなことを長年やってきた。怠け者の知恵である。
 しかし、ある日アイデイァ商品、主婦が考えた特許製品のコーナーを見てびっくり。雑巾スリッパがあるではないか!!!!水撒き掃除ブラシもあるではないか!!!必要は発明の母である。
 同じようなことを考える人はたくさんいるだろうけれど特許をとろうと考えるまでには至らないのだろう。
 お風呂の残り湯で洗濯をしている。サイフォンの原理を使って洗濯機にホースで残り湯を長年入れていた。これも商品化されていてびっくり!
 私が特許をとっていれば今頃雑巾スリッパで億万長者だなどとほぞをかむ。
 夫の身の回りのこととといえば、新婚時代は靴下まで履かせていた。しかしそんな甘っちょろいことをいつまでもやっておれない。
 だんだん自分のことは自分でするように「しつけ」た。夫はこんなにうまく夫を操縦する術こそ特許をとるべきだと嫌味を言う。
 昔英語の教科書でロボットが家事を全部こなすSFが載っていた。子どもの世話もロボットがし、三食はサプリメントの錠剤。だんだん心を亡くしていく家族。そんなストーリーだった。
 中国の餃子問題が解決しないままうやむやになった。あれ以来手作り餃子をする家庭が増えたとか。世の中には手軽で安い商品が氾濫している。手作り餃子を作れば労力と一個あたりの単価を考えると冷凍餃子のほうが安い。
 しかし!出所が不明な肉や賞味期限が怪しいものや食品添加物にまみれたものが多いのも事実である。
 それよりも子どもと一緒に餃子の皮をつくり、家族でなかみのあんを包む作業をすれば楽しい。
「お母さんの作ったものが一番おいしい!」この言葉は金品では買えない、代えられないものである。
 「おいしい」とは何だろう?
 台所でことことと煮える音やにおいや、お母さんがまな板で野菜を刻む音、家族で食卓を囲む雰囲気や、会話などが「おいしい」につながるものだろう。「くつろぎ」もこの「おいしい」にも繋がると思う。
 つまり家に帰ってきて台所で何かが煮える音や、「おや?今日は肉じゃがかな?」と想像する瞬間、脳内にやわらかな何かが働く。
仕事着を脱ぐついでに心にまとった鎧(よろい)や兜も脱ぐのである。
 働くお母さんはそんなに手間隙かけられない。ではどうすればよいか?そこで便利な冷凍物を買うことになる。
 でも待ってください。一週間のうち少しの時間が取れるはず。その時たっぷり作って自家製のものを冷凍しておけばよいのである。
冷凍食品を買うばかりが能じゃない。野菜もさっとゆでて小分けして冷凍。レンジでチンすれば解凍出来るのである。おやつも手作りを冷凍しておくことができる。
 今「孤食」が問題となっている。贅沢なステーキを独りで食べるよりコロッケをみんなで食べるほうがおいしい。
 「おいしさ」を決める要素は五感にある。
 台所でことことと煮える音やにおいや、お母さんがまな板で野菜を刻む音、家族で食卓を囲む雰囲気や、会話などが「おいしい」につながるものだろう。

人生を「おいしく」するためにも日々を「おいしく」過ごしたいものである。