飛翔

日々の随想です

舞台裏の神々

 暑い日は思いっきり笑って暑さを忘れるこんな面白い本を読んでみてはいかがだろうか。
 表通りより、ひっそりした裏通りにおもわぬ情緒をみつけることがある。
 裏の顔、裏話など、「裏」の世界には人間くさい話がころがっているものだ。


副題「指揮者と楽員の楽屋話」とあるように指揮者と楽員、裏方たちの実体をユーモアや風刺を交えたとっておきの「逸話」集である。
「指揮台の神々」の姉妹編。


 著者はウイーン国立歌劇場とウイーン・フィルハーモニーで活躍したチェリストである。
序文はニコラウス・アーノンクール
のっけからお腹がよじれるとっておきの実話を暴露して読者を喜ばせてくれる。
アーノンクール自身も後半、血祭りにあげられているのだからこれまた愉快。


 本書に登場する指揮者の顔ぶれはカラヤンベーム小澤征爾バレンボイムバーンスタインクライバーなどのお歴々。
彼等の裏の顔、失敗談、けちぶり、嫉妬、などをオーケストラ楽員達の見聞を通してたっぷりと覗き見させてくれる。
またウイーンフィルの現役楽団員が描いた風刺画は爆笑炸裂。


 本書で紙面が最も割かれたのはカール・ベームである。
なぜか?楽員に最も嫌われた人だったからだ。
楽員達への最低の礼儀を逸脱し、ののしり、がみがみ、ねちねち奴隷の如く扱い、極度のけちときては、そのエピソードはつきないのである。
吹き出したくなるベームの風刺画。
日本でもファンが多いベームもかたなしである。


 それに反してカラヤンはほとんどの楽員からこのうえない尊敬を受けていたのでそのエピソードも好意的なのが好対照で面白い。
 カラヤンバーンスタインのなかば戯画化した話:


ある日カラヤンバーンスタインにこう自慢した。
『システィナ礼拝堂で演奏会をしたときのことですがね、演奏が終わると聖母マリアが壁画から降りてこられて、涙をながしながら私に「ありがとう、マエストロ」とささやいて下さったんですよ』
その半年後同じ場所でバーンスタインが演奏会をし、カラヤンバーンスタインはこう言ったそうな。
『演奏が終わるとキリストが御自ら親しく降りてこられ、抱きかかえんばかりに感激し感謝してこうおっしゃった「ママを泣かさない人がはじめてあらわれてくれた!』


二人の張り合いぶりの逸話もここまでくるとさすがに神がかっている!


クレンペラーの逸話:
『老人性聴覚障害にくるしんでいた彼は練習で第二トランペットの音が大きすぎると文句をつけた。すると楽員は遠慮がちに今日はトランペットは出席していませんと言った。
するとクレンペラーは当意即妙に切り返した。
「じゃあ、彼が出てきたときにそう言ってくれたまえ!』

 指揮者が自分のミスを認めるのはまれとか。
しかし、偉大な指揮者は、たとえ自分の権威に傷がついてもミスを認める人がいる。
それが誰あろう、われらが小澤征爾その人だ。
小澤征爾がウイーンフィルを率いて、ヨーロッパツアーをしていたときのこと。ストラヴィンスキーの難しい《春の祭典》を暗譜で指揮した。
しかし、八回の演奏の間、たった一回ミスをした。
演奏会が終わると小澤は、大喝采している聴衆をよそに、楽員たちに自分のミスを詫び、自分自身への拍手を受けることを謝絶した』


さすが口の悪いウイーンフィルの楽員たちも小澤のこの潔い態度には揶揄の言葉の一切れも見あたらない。


 さて、このように燕尾服を着た世界のマエストロたちもひとたび指揮台を降り、舞台裏に消えると人間くさい素顔に戻るのだ。
お腹の皮がよじれるほど笑い転げるうち、堅苦しいとおもっていたクラシックの世界がぐっと身近なものとなる。
言う方も言われる方も笑い飛ばすユーモアという土壌があるからこんな本が出版されるのだろう。