飛翔

日々の随想です

夜明けの空の茜色(あかねいろ)


女が女であると意識する時は薄物をはおるときではなかろうか。
肌がすけてみえる瞬間、えもいわれぬ美がかもしだされる。そしてそれを脱ぐときはさらになまめく。
 そんな女のナルシズムを歌ったのは松平盟子である。

ランジェリーすべりおちゆくたまゆらのうすべにいろの迷い愉しむ
((『たまゆら草紙』河出書房新社
ナルシズムとは異なるが女が女であることの喜びを夜明けの茜(あかね)染め色の長じゅばんを着たときと歌うのはあの与謝野晶子である。
与謝野晶子は夫与謝野鉄幹がパリに渡航して独り寝のさみしさを歌った歌がある。
ひとり寝

良人の留守の一人寝に
わたしは何を着て寝よう
日本の女のすべて着る
じみな寝間着はみすぼらし
(省略)

わたしはやはりちりめんの
夜明けの色の茜染め
長襦袢をば選びましょう
重い狭霧がしっとりと
花に降るよな肌触り、
女に生まれたしあわせも
これを着るたびおもわれる

(省略)
旅の良人も、今ごろは
巴里の宿のまだろみに、
極楽鳥の姿する
わたしの夢を見ているか。

(「与謝野晶子詩歌集」弥生書房より)
こう悩ましくも切々と女心を歌っている。あの時代に率直で大らかなこの歌いっぷりはどうだろう!こんな想いがつのってたくさんの子供を置いて夫の元へ旅立っていった晶子。
 大胆で奔放。

世の多くの女性が着る地味な寝巻きなど着たくないわ。着るならちりめんのはだざわりがまるで狭霧(さぎり)のようにしっとりとしたちりめんで、色は夜明けの茜色(あかねいろ)に染めた華やかなものを断然着るわ!と云う。これを着るたびに女に生まれた喜びを感じるのだものと、今ならば理解できるけれど、あの当時「夜明けの茜色」の長じゅばんを着て寝るという発想が艶っぽいではないか。
一方、先にあげた松平盟子のランジェリーの歌は素肌からするりとすべるようにぬげていくランジェリーの瞬間を歌っていて微妙なエロティシズムがこぼれるようだ。
 ランジェリーがぬげていく先にあるものは何だろうかと想像が宙を飛ぶ。
 それを「うすべにいろの」「迷い」とし、それを「愉しむ」とはまったく憎い大人の女が匂い立つ。
与謝野晶子は夫を待つ「ひとり寝」の女心。松平盟子の歌はなにやら謎めいて秘めやか。
女というものは着るもの一つ、それが寝巻きであり、ランジェリーで「女」に生まれた幸せを想い、なまめかしく「愉しむ」感性の持ち主であることがわかろうというものだ。
男はまさかパジャマを着る喜びなんぞはかんじないだろうし、パンツやステテコの歌をなまめかしく歌うこともないだろう。
私も長い黒髪を指で櫛けづりながら指の間からさらさらとこぼれ落ちる感触をしばし愉しむとしようか。