飛翔

日々の随想です

『火群のごとく』

火群のごとく

火群のごとく

 本書は時代小説である。登場人物は元服前の少年たち(和次郎、源吾、林弥、そして透馬)である。同じ剣術の道場に通う良き仲間たちである。
 林弥は幼い頃父をなくし、15歳上の兄、結之丞に5歳のときから剣の手ほどきを受ける。兄の結之丞は道場一の剣の達人だった。その兄が刀を抜くこともなく、後ろから背中を切られて暗殺される。その犯人の手がかりは何もなく、兄嫁と母を支え元服前でありながら一家の長として成長していく。和次郎、源吾、林弥の前に同じ年の少年、透馬が江戸からやってきて、道場でも名うての剣士、野中と一騎打ちとなる。透馬の並外れた剣の技が野中をしたたか打ちのめす。
 やがて少年剣士たちの 友情が育まれ、少年特有の憂いや、将来の獏とした不安を織り交ぜながら、彼らを囲む女性たちとのふれあいの機微が美しい鵜飼の地方の自然とあいまって物語を進ませていく。兄暗殺の犯人探しに関わるうち、藩の政治的暗躍に気付く林弥と透馬。
 登場する少年たちの生き生きとした日々に関わる女性の描き方がたおやかで、兄嫁七緒の凛とし、しかし地味にしていても匂うように美しい姿が実に魅力的である。また遊女のけなげさや、下女にいたるまで、細やかな心のひだを描く作者の筆は少年ばかりでなく女性に対するまなざしも優しく繊細に描いていて心に染み入るばかりである。
 物語の後半は暗殺者探しと言うミステリアスな部分が読者をさらにぐいぐいと引き込む。
 剣の技をからめて、一人の少年剣士が大人になっていく過程には、それぞれ仲間の友情があってのこと。『バッテリー』にも見られるように人は一人では成長しない。必ず支えてくれる者たちがあったればこその思いがこの小説にも通奏低音として鳴っている。
 ぐいぐいと読者を引き込むこの小説の魅力は時代小説だからこそかもしだされる言葉の魅力にあるだろう。敬語の使い方、使われ方は相手を敬う心があってこそ生きるものだ。敬語の持つ凛とした響きの美しさ。居ずまいや所作の整然とした美しさから生まれる言葉はどこまでも美しい。
 夫が暗殺されそのむくろが帰ってくるときの若妻の様子:
 「みね」
 後ろに控えていた端女(はしため)の名を呼ぶ。みねがか細い返事をした。林弥も立ち上がる。
 「すぐに旦那さまがお帰りになります。ご寝所を整えておきなさい」
 「はい」
 (略)
 「夜具の支度をと申しているのです。しっかりおし」
 (略)
 「わたしへのお気遣いは無用です。耐えるべきことはこれからにございますから、どうぞお心して
最後まで読者の心を離すことなく進んでいくこの時代小説は剣の技を磨きながら心も成長させていく少年剣士たちの友情とかつて自分にも持っていた熱いものを呼び覚まされる心地よさといえるだろう。面白かった。