- 作者: 堀江敏幸
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2001/02/08
- メディア: 単行本
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背景がフランスであるのに対して登場人物は常に移民たち、
ディアスポラ状況にあるものたちであるとことろがこの著者の特徴。
プロットがとても巧妙で洒落た構成になっていて、読後それに気づいた私は、思わず声にならない声をあげてしまった。
キーワードは「熊」「投げる物」「寓話」「ホモイの貝の火」「さまよえるディアスポラ」。
「熊の敷石」とはラ・フォンティーヌの寓話で、親友の老人の寝顔にハエがたかるのを追い払う役割の熊が、どうやっても追い払えない蝿にごうを煮やして敷石を投げ、ハエもろとも親友の頭までかち割ってしまった熊のお話。。
この訓話から転じて、「熊の敷石」とはいらぬお節介のこと。
登場人物のユダヤ系フランス人の友ヤンは父、祖父母のホロコーストの歴史を持ち、
日本人の主人公は過去に命のかかった逃亡などない時代に育った。
そんな二人の関係を主人公は
「社会的な地位や利害関係とは縁のない、ちょうど宮沢賢治のホモイが取り逃がした貝の火みたいな、それじたい触れることのできない距離を要請するかすかな炎みたいなもので、国籍や年齢や性別には収まらないそうした理解の火はふいに現われ、持続するときは持続し、消えるときは消える。不幸にして消えたあとも、しばらくはそのぬくもりが残る」と思う。
主人公は自分が大切に思ってきた「貝の火」を共有する距離について自問自答する。
自分と他者との距離、歴史に対する距離とどう関わっていくか。
言いかえればそれは「潮の引いたモン・サン・ミッシェル湾さながら、ふだん見えない遠浅の海でどこまでも歩いていけるような錯覚のうちに結ばれる」関係。
しかし、それは互いに見えないハエを叩き合っていて、投げるべきものを取り違っているのではないか、つまりあの熊の敷石のごとく。
人間や歴史、他者との関わりを個人としてどこまで共有できるのか。
それはホモイの「貝の火」のように種類をたがえて燃えて行くことなのか。
この作品はいくつかのエピソードをまじえているが先に挙げたキーワードにもあるように
主人公と友人との出会いのきっかけは「投げるもの」つまり、ペタンクと呼ばれる石を投げて遊ぶ競技が縁だった。そして列車でとなり合せた学生の「カマンベール投げ」のエピソードがあり、最後のオチでもあり、主題でもある熊が「投げた」敷石と繋がる。
実にさりげなく、しかし、力量を感じさせる筆はこびで温かな雰囲気と哀感をたたえた堀江ワールドに満ちていて白眉な読後感だった。