飛翔

日々の随想です

わが真葛物語―江戸の女流思索者探訪

わが真葛物語―江戸の女流思索者探訪

わが真葛物語―江戸の女流思索者探訪

近来、女性史の研究はめざましくなり、江戸女流文学の存在があきらかになってきた。
本書はその中でもひときわ異色の傑物、只野真葛(ただのまくず)の生涯と作品、人間像に迫るものである。

只野真葛(ただのまくず)は1763年江戸日本橋に誕生。父工藤平助は仙台藩江戸詰め医師であった。国学者村田春海、清水浜臣らの薫陶を受けのびやかに育つ。九歳のとき、人の益になること、世の中の、女の本となりたいと考える。古今和歌集を習い、滝本流の書を習ったが、父に儒学を学ぶことを禁じられる。35歳で仙台藩士只野伊賀に嫁ぎ仙台へ下る。歌人としての名声も広まり、夫の勧めで「みちのく日記」「塩竃まうで」「松島のみちの記」「奥州ばなし」などを著す。父、弟、夫が次々と急死。呆然とするが、尊敬する父の業績と遠祖の名を世に顕す者は自分だと自覚し、「独考」という比類ない思索書を書く。「独考」を刊行しようと江戸の曲亭馬琴に添削批評を乞う。馬琴は「独考」が一般女性の著作とはかけ離れた社会問題や倫理を論じた著作であるのに驚き、興味を持つが「独考論」という批判文を書いて送りつけた。真葛は落胆し沈黙のうち1825年没す。

江戸時代は幕府の文治政策が浸透し文字を読み書きする人々が庶民層の男女にまで及んでいた。
さまざまな身分の女性が筆を執った中で、真葛がひときわ異色だった点は何だろうか?
それは代表作「独考」という思索書にある。
風雅や文学的なものでなく、女性には珍しく社会問題や倫理を論じ、経済至上主義を批判、「天地の間の拍子」を唱え独自の宇宙論を著したことにある。

「独考」の冒頭:

この著書は全てへり下る心なく、言い過ぎるほどに書いた。その理由は、わが身をへり下り、出過ぎることを厭うのは、この世に生きている人のすることだ。(省略)自分の懐を富ますために、外国の脅威も思わず、国の浪費も考えず、黄金を争うために、狂ったように振舞う人々のことが嘆かわしいばかりに著したものなので、そのために憎まれても痛くもかゆくもないと心得てご覧頂きたい。


何とも激烈な宣言である。
また儒教批判では:

儒教はご公儀が政道に専用と定められているので、真の道らしく思われがちだが、実は人が作った一つの法に過ぎず、唐国から借りてきたものである。いわば表向きの飾り道具であって小回りのきかない街道を引く車に似ている

と比喩が絶妙。
江戸後期、儒学は形骸化し、幕藩体制の含む矛盾が露呈した時代であった。その矛盾と弊害を真っ向から批判したのであるからまさに傑物である。馬琴が体制批判と危惧したことも頷ける。

真葛は誰も師とせず、儒仏教を学ばず独りでこれを書き上げたのだから驚嘆するばかりだ。
九歳のとき、人の益になること、世の中の、女の本となりたいという志は、生涯、真葛の精神の根底にあったといえよう。
さまざまな身分の女性が書いた江戸時代は、下層の人々の苦しみや社会問題にまなざしが注がれていたことが本書から伺える。
平安時代の女流文学を最高峰とする考えを改めるときが来たといえよう。

本書の優れたところは、原文と訳が併記されていて、原文からかもしだされる文の香りが読者にじかに伝わることである。また読みやすく、親しみやすいのは、著者自身の疑問やアプローチの様子がすべて書かれており、読者が著者と共に考え、読み解き、時にはみちのくまで随行、次第に真葛の人物像が立体となっていく過程を共有できる点である。
著者は手引書も研究論文も少ない中、丹念に読み解き、調べ、江戸女流文学者 只野真葛を見事に現代によみがえらせた。その渾身と卓越した筆力に脱帽である。

江戸時代にこの只野真葛(ただのまくず)がたったひとりで社会問題や倫理を論じ、経済至上主義を批判、「天地の間の拍子」を唱え独自の宇宙論を著したことを思うとき、現代女性が「負け組」「勝ち組」などと自分の首を自分で絞める様な時代に逆行した考え方で虚しい論争を繰り広げていることはなげかわしい。

この名著を著した著者の門玲子さんは市井の一主婦である。
こつこつと古文書をときあかし、足で調べ、江戸時代の女性にこんな素晴らしい人がいたことを著わしたその努力と卓越した筆力を思うとき、もっとこの名著が読まれるべきであり、現代女性がもっと賢くあってほしいと切に思うのである。