飛翔

日々の随想です

アンパンとおじさん


 一番厄介なことは自分との折り合いがつかなくなるときかもしれない。
 どうしようもない自分との相克に苦しんだ時期は私にもあった。東京からひなびた土地に嫁いだ頃のことだ。苦しみは自分の弱さとの戦いである。
 日の光を見るのが怖くなって、昼間でも雨戸を閉めた。苦しんで苦しんで、答えのない暗闇の中をもがいていたとき地震があった。大きな揺れがやんでしばらくすると玄関のベルがなった。ベルを押したのは近所に住む知的障害者の男性だった。おじさんはなぜか私に親切でいつも「大丈夫か?」と声をかけてくるのだった。

 そのときも
 「自分の家に地震があったけれど、お前のところもあったか?」
 という不思議なというよりも吹き出しそうな問いだった。
 「あった」と答えると、
 「そうか。心配だから来て見た。大事にしてな」
 と言って、安心して帰っていった。

 こんなこともあった。
 外出しようと玄関に鍵をかけ、しばらく歩いていると遠くからおじさんが大声で何か叫んでやってくるではないか。
 「何ですか?」と言っても声が届かないのでしかたがないのでおじさんのほうへ走って近づくと、
 「錠はかけたか?」という問いだった。
 もう遅刻しそうなのにとんだ時間を喰う出来事だったけれど、おじさんにとって、私は子分か何かのような存在で、自分が守らなければと思い込んでいるようだった。
 とんだおもいこみなのだけれど、おじさんの目はいつも澄んでいるのだった。

 近所の子どもが知的障害をもつこのおじさんをからかいに石をなげたり、罵声をあびせに時々くる。
 そのつど私は家から飛び出て
 「こらー!弱いものいじめするな!卑怯者!名札を見たから学校へ行って先生にいうぞ!」
 と云うとみんな「わー」と言って逃げていくのだった。

 そんな風なのでいつのまにか、私とこのおじさんは親戚なのだと思っている人もいたようだった。

 ところで、話を元の地震事件にもどそう。
 地震を心配してくれたおじさんは、夕方あんぱんを持ってきた。
 「食べろや」とアンパンを差し出した。いつのアンパンやら不気味な気がしたけれど、袋に入っていたので食べることにした。
 玄関のポーチに並んでアンパンを食べた。 なんだかしみじみ心がなごんだ。

 おじさんは推定50歳〜60歳ぐらい。きれい好きでいつも洗濯をきちんとし、家の中も外も掃除がゆきとどいていた。

 アンパンを食べながら涙がでてきた。私は自分のことばかり気にしていて、自分のことしかみていない人間だ。
 このおじさんは地震があったら、真っ先に私を心配してくれた。なんだかめそめそしている私にアンパンをくれてなぐさめようとしている。
 鍵をかけたか、泥棒に入られてはいないか、地震があったか心配なのだ。
 いつも「大事にしてな、大事にしてな」と言って帰っていく。
 それにひきかえ私は何をくよくよと自分のことばかり気にしているのだろう?
 鏡の中の私の目は腐った魚。
 おじさんはいつも澄んだ目をして、言葉にならない言葉で歌にならない歌を朝から歌っていた。

 おじさんの心には「屈託(くったく)」というものがない。ねじまがる心など微塵(みじん)もなく、朝から歌っている。

 そういえば、おじさんの言葉にならない言葉をいつから私は理解できるようになったのだろうか?
 気がつけば、おじさんの言葉は私以外誰にも理解できなかったのだった。

 アンパンをかじりながら心の中で、氷が「カチッ」と溶ける音を聞いたような気がした。
 東京からひなびた土地に嫁いで、知り合いも友達もいないさみしい日々を、このおじさんとの交流が私の心を慰めてくれた。
 おじさんは10年ぐらい経ったある日天に召された。