飛翔

日々の随想です

今、わたしたちが、すべきこと、考えるべきことは?

今朝、朝食を食べようとした家族全員が、絶句したままご飯がのどを通らなくなった。
 テレビニュースで福島原発事故のため、立ち入り禁止地域の家畜、牛、豚、鳥、がえさをもらえず、やせ衰えて、立ち上がれないものたち、病気になったものの映像が映し出されたからだ。彼らは避難所に連れて行くことができずに、病気でもないのに、殺されるという。何とむごいことをする!!!!!!
 殺しに行く係りの人が「むごすぎて、見るも無残で・・」と絶句。
 猫も、犬も同じだ。えさをもらえず、水をもらえず、人間の姿を見てかけよってくる。
 津波地震の被害は自然災害であるが、原発事故は人災である。
 家畜どころか、人間様も営々と築いてきた先祖伝来の土地に入ってはいけないと禁止され、罰金を科せられる。こんな不条理がどこにあるというのだ!!!!
 しかも、いつまでだめなのかその見通しすらない。補償金の額も未定。

 東京電力の補償の問題やこれからの見通しもまだはっきりしないうちに、政府は「増税」を国民全員に課すというあまりにも唐突で、しかし、かつての増税案をここぞとばかりに打って出た態度はいかに?
 しかも、日本全国の原発が今回の福島原発事故を受け、外部電源と非常用発電機のすべての電源が絶たれた場合に備えて、あらたに電源車や発電機を備えると言い出したが、これらを調査したところ、9社と「もんじゅ」がこれらの装備では、ほとんどの原発の原子炉を安定した停止状態にできないことが明らかになった。
 付け焼刃のように、あわててこれらを配備した各電力会社ではあるが、これれが使い物にならないことが分かった現在、いったいどうすると言うのだろうか?万が一のことがあったときは地域の破壊だけでなく地球規模の放射能汚染になってしまう。
 小出裕章京都大学原子炉実験所助教授(原子工学)の話では:
 お粗末過ぎて言葉が出ないような対応だ。配備された電源車では、いざという時に役に立たないのは明らか。電源問題を放置してきた国の責任も重い。
 と述べている(中日新聞第一面より 2011年 4月26日朝刊より)

 ドイツは原発廃止の方向へ舵を切った。一方被害にあっている日本はどうか?
 原発だけがクリーンエネルギーであり、安全であると言ってきた国と電力会社。原発からほかのエネルギー開発を日本の技術力ならできるだろうに!はじめに原発ありきで推し進めてきた国。今こそ日本の知恵と技術力を結集してほかのエネルギー開発に力を注ぐべきではないだろうか!!!
 広い海があるではないか。海面にソーラーパネルを敷き詰めるとか、海底に眠る資源から新しいエネルギー源を模索するとか、知恵はいっぱい生まれるはずである。
 橋の振動を利用して電気を作る実験が成功し、いくつかの橋の照明はこれらの振動による電気エネルギーでまかなっているところがあるそうだ。
 道路を走る車の振動を利用すればいくらでも電気は生まれそうではないか。
 一度核分裂したらとまらない原子核エネルギーばかりがエネルギーではないはず。
 また電気を使用する国民の消費意識の改革も必須である。
 おびただしい電気を無駄遣いし、不夜城のように夜も赤々と、ともされ続ける照明は必要ではないはず。
 食料もそうである。廃棄されるおびただしい食品。浪費と飽食の生活は文明病である。
 
 隣の人は何する人ぞと、無関心の社会から、共生し、支えあう社会を作ることを真剣に考えるときが来た。
 今、みんな何をすべきか、考えるときが来たのではなかろうか?