飛翔

日々の随想です

夏の日の思い出


太陽が顔を出しはじめた朝のしじまの中、書斎で仕事をはじめた夫の邪魔にならないよう、私も家事を始動する。植木や花に水遣りをする。朝顔の藍色の美しさに思わず「わ〜ぁ、綺麗!」と言うと夫が後ろから「朝の楽しみは朝顔から始まるね」とにっこり。
 江戸時代末期の歌人橘曙覧(たちばなのあけみという人がいる。
『橘曙覧(たちばなのあけみ)全歌集』(岩波文庫)の中から独楽吟(どくらくぎん)と題した連作歌がある。52首もの歌はすべて「たのしみは・・・」からはじまっている。
 その中の一首
・たのしみは 朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲けるを見る時
 を思い出す。
 江戸時代の人も現代人の夫と私も同じ感覚で「たのしみは 朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲けるを見る時」とつぶやくのが嬉しい。

洗濯機を何回もまわし、掃除機をかけ、拭き掃除を終える頃には玉のような汗がにじむ。朝食の準備をし、お弁当を詰める。この炎熱地獄の時期、お弁当のおかずには苦労する。煮物には煮えばなにお酢を少したらすと味が引き締まる。夫を送り出し、乾いた洗濯物にアイロンを掛ける。
家事労働で流す汗はなぜか心地よい。誰に評価されるわけでもないけれど、家の中がきちんと片付き、拭き清よめられていると空気までがぴしっと澄んで気持ちが良い。

子供の頃、「ただいま〜ぁ」と帰宅すると家の中が拭き清められて玄関には打ち水をされている。花が涼しげに活けられていると子供心になんて気持ちの良い家なのだろうと靴を自然ときちんと揃えて入る。真っ白な割烹着を着てにこにこした母が出迎えてくれるのは嬉しいことだった。 
 せみ時雨を聞きながら遠い日の水が打たれた玄関の佇まいの美しさが思い出される。