飛翔

日々の随想です

「マーメイド・イン」と石井桃子さん

例えば「川から、どんぶらこっこすっこっこ」と流れてきたものな〜んだ?と聞かれて答えられない人はいないだろう。
正解は「桃」である。
これは桃太郎のお話をほとんどの人が知っているからだろう。
日本昔話や日本の童話は親から子へと読み継がれ、読み聞かされてきたものだ。童謡もそうだ。
そうした伝承歌や伝承童話は大切に歌い継がれ読み継がれていく。
幼い子どもから大人まで共通して親しんできた伝承歌や伝承童話でも、外国人は分からない。
同じことが外国へ行った日本人が経験することでもある。

英国へ行くと日常会話の中にマザーグースの一節が出てきたり、シェイクスピアのセリフがでてきても、それらになじみがないときょとんとする。
英国にいた頃、三月に友人のRがレストランで食事をご馳走したいと招待してくれた。

その頃イングランド南東部ケント州のカンタベリーに住んでいた。
カンタベリーから車を走らせて イングランド南部の海岸線をドーバーからブライトン方面へひた走る途 中にライRyeという小さな街がある。そこが目的地。
Ryeライは中世の面影が残り、石畳が続く英国で最も美しい街の一つである。
そのライの町で有名な「マーメイド・イン」(Mermaid Inn)へ入った。

「マーメイド・イン」(Mermaid Inn)は1156年創業。1420年、旅籠(はたご)インとして再建。
ライの街は海辺から2マイルのところにある。
ライは海辺だった。それが数百年経って海岸線が後退してしまったのである。
当時「マーメイド・イン」はホークハースト・ギャングという海賊たちの溜まり場になっていたとか。
床が傾いていて昔のまま。「マーメイド・イン」はパブとレストランと宿になっている。

Rと私はキャンドルのともるレストランで「ドーバー舌平目」を食べ素敵な時が過ぎた。
Rはワイングラスをかかげてお誕生日おめでとうと言った。すっかり忘れていたけれどその日は私の誕生日だった。

英国人のRは「マーメイド・イン」の歴史などを語り、マーティン・ピピンのお話の中に出てくる人魚がどうとかこうとか・・・一生懸命に話した。
ウィンチェルがどうとかこうとか・・・私はさっぱり意味がわからなかった。
ひとしきりしゃべったRはこころなしか寂しげな様子になった。

後でわかったことだけれど、マーティン・ピピンのお話は英国人なら誰もが親しんできたエリナー・ファージョン作、ヒナギク野のマーティン・ピピンにでてくる「マーメイド・イン」の人魚のことだったのである。

そんな童話の中にも出てくる有名な「マーメイド・イン」で誕生祝をして喜ばそうと思った意図ははからずも失敗してしまったわけだった。
英国人同士ならその童話の話で盛り上がるところ、わからない相手では興ざめだったことだろう。

後にさんの名訳による童話ヒナギク野のマーティン・ピピンを読んでやっと 「マーメイド・イン」の人魚のお話を理解したのだった。

文化の礎となっている童話や童謡はその国の人たちの血となり肉となっている。
そんな外国の童話を親しみやすい名訳で私たちに紹介してくれた石井桃子さんの業績は偉大だ。
『熊のプーさん』『ちいさなうさこちゃん』シリーズの翻訳、『ピーターラビットのおはなし』など数多くの翻訳により、私たちはすぐれた外国の童話に親しむことができた。
今日あらためて石井桃子さんの訳による『ヒナギク野のマーティン・ピピン』を読みながら「マーメード・イン」での誕生日を思い出している。
あのとき石井桃子さんの訳による『ヒナギク野のマーティン・ピピン』をよんでいたらなあ・・・。。