飛翔

日々の随想です

女書生

 鶴見さんは1995年12月24日に脳出血で倒れた。
 その倒れた日を命日と呼び、死後の世界から見た生存中の仕事を眺めたものが本書である。
 主に講演会で語られたものを元にしてあるため、分かりやすい内容で、南方熊楠柳田国男一村一品運動アニミズムなどが次々と提示される。

 出色なのは、水俣病患者達の個人史を聞き取り書きをした日本初の「内発的発展理論」の誕生だろう。その理論の過程を生々しく語っていく部分は息をのむ。
 学者ら10人が水俣へ入り調査しはじめた当初、研究者同士で大喧嘩になったと言う。それは水俣の人達の苦しみを前に「学術的に調査する」って一体何か?自分たちが今までしてきた学問は人間の本当の苦しみに対して役に立たないのではないかと絶望的になり喧嘩になったという。
 そこで鶴見さんは今まで学んできた、人を、社会を分析する社会学は、水俣では通用しない。水俣の人達の話を謙虚に聞き、自分の学問をやり直し作り直すべしと思う。
 そこから「人間は自然の一部である。したがって人間が自然を破壊することによって人間は人間自身を破壊する事となる。自然とのつきあいを回復していくことを通してしか癒していくことはできない」と喝破。
 さらに「西欧の近代化論がもたらしてきた弊害を癒し、単一の価値観ではなく、自らの地域に内在する諸要素を活用し、地域の存立、基盤維持機能の回復を目指し内発的に発展していく」という理論に到達。
さらに地域の内なる発展力を引き出すキーパーソンの必要性を説くに到るは、まさに水俣体験から生み出した日本初の「内発的発展理論」の誕生である。

 最終章は友人、家族におよび、四つ違いの弟俊輔氏のことが語られ一興。
 それはあの鶴見俊輔を形成している謎解きにも繋がるからである。
 和子さんは「あなたと俊輔さんとは、同じお母さまですか?」「お兄さまによろしく」と言われる由。
 俊輔が書いている母の像と和子が描く母の像とは同一人物とはおもえないほど食い違う。
 母は弟を立派に育て上げようと厳しい価値基準で苛酷に糾弾。それは大女の母が痩せっぽっちの男の子をいじめているとしか映らなかったようだ。その為、母に抵抗して弟を守り続けたというから壮絶。
 俊輔は何度も自殺未遂を重ねる。俊輔がハーバード大学に進み、「アナキスト」の嫌疑で留置されている間、下宿に行ってみて愕然。天井、壁一面に自己に対する戒律の言葉が張りめぐらされていたと言う。 それを和子さんはこう分析する。それらは「母の訓戒の内面化」であり、死と向き合うのと同じ俊輔の格闘であると。
 母は罪の意識を持って自己を責め立て、それを息子俊輔に植え付けようとしたと分析する。

 娘の側から母をみると別人のような評価。
・父親に愛された娘を夫に任せる責任分担の意識が働いた為、罪の意識を植え付けなかったこと。
・衣食住の流儀に秀でていた母の見識に娘として敬意を抱いていたこと。
 同じ母のもとで育てられながらこうも違う二人を和子さんはこう評する。
 弟 鶴見俊輔は:死ぬ思いを何度か経験し、人間の罪と暗黒とをくぐりぬけてきた「生まれかわった人」(twice-born)なのである。
 鶴見和子は:「生まれたままの人」(once-born)である。

「これらのことが弟 鶴見俊輔の仕事をより深く、寛く、そしてすじの通ったものにしているのだと思う。人が俊輔を私の兄と呼ぶのも、そうした理由からであろう。そういう兄弟をもったことは、私の生涯の幸せである。」と結んでいる。

 幼い頃、母に抵抗して弟を守り続けた和子さんの心の結実であろうか。
 麗しき才人、鶴見和子さんここにあり!