短編の名手永井龍男の作品「青梅雨」の出だしの描写にこんなのがある:
運転手と車掌が乗り込むと、ヘッドライトが点き、電車の廻りのぬか雨がにわかに宙に照らし出された
読んで情景がくっきりと浮かぶ。無駄な文はどこにもない。
俳句のように、そいで、そいで、一文一文が短詩系のように洗練されている。
そういえば、永井龍男は俳人でもあった。俳句で鍛えた研ぎ澄まされた神経が行き届いている文ばかりだ。
直木賞作家の新田次郎も娘の作文を手伝いながらこんな珠玉の言葉を残している。
感動だけで書いてはダメ。感動から出発してそれを整理し、次に糸くずまで捨てるぐらいの気持ちで思い切り削る・・・。最後に、そのなかから絹糸一本だけを引き抜くのだよ。すると研ぎ澄まされた何かがみえてくる。何をかくのかが見えてくる
絹糸一本だけ引き抜くように書けたなら、私も直木賞が取れるだろうか?
いえいえ、過日、お茶をご一緒していただいた直木賞作家の 佐藤愛子さんが私に言った言葉がまだ耳に残っている。
要は資質ですよ!
ピンボケで残念な写真になったけれど、佐藤愛子さんと二人です。